【第8話】アンテナショップで出会えたもなかシリーズ-その①
たぶん、今年の7月、8月は、私の人生で一番「アンテナショップ」に行った月だと思う。 都心にある各地のアンテナショップを中心に、どのような「もなか」が売られているかの実地調査に行っていたのだ。
Wikipediaによると
アンテナショップ とは、企業や地方自治体などが、自社の製品や地元の特産物などを広く紹介したり、消費者の反応を探る目的で開設する店舗のこと。
2024年時点の調査によると、東京都内にはこのアンテナショップが、なんと60件以上もある。とはいえ都内に全部の県があるわけではないのだが、お店に行くだけで小旅行感覚で名産品が買えるのはとても便利であり、何よりもたのしい。
というわけで何度か分けて、今年の夏に出会えたもなかとその記録を紹介していきます。

①榮泉堂「バター最中」(宮城県伊具郡丸森町)
お土産にちょっと詳しい人なら知っているかもしれない、宮城県のお菓子「シーラカンスモナカ」。
その販売元、パティスリー kazunori ikeda individuelの代表・池田一紀さんの御実家が、宮城県丸森町にある「榮泉堂」なのだとか。
実は購入は少し前。その時期は宮城県のアンテナショップ「宮城ふるさとプラザ」は茅場町にあったが、いまは有楽町駅前にある「東京交通会館」の地下に移転してしまった。
茅場町の仮店舗では曜日限定入荷・ひとり12個までの決まりがあったけど、移転後に取り扱っているかは不明(店員さんが忙しそうで聞けなかった)。
だが安心してほしい。上野駅のエキナカ(改札外)にある「地産品ショップ・のもの」でも扱ってた。
SNSでフォロワーさんに教えてもらったが、秋葉原の「のもの」にもあるみたい。

「バター最中」のお味は…
もなかの情報を集めまくっているのに、これまでそんなにもなかを食べてこなかった私、実はこれが初めての「バター入りもなか」だった。
あんバタートーストのように、バターとあんこの相性の良さは言うまでもない。
だがしかし、榮泉堂のバター最中やシーラカンスモナカが入手困難なほど人気になるのは、中に入っている「塩」の粒がほどよく効いているのがポイントなのでは?
フランス・ブルターニュ地方のゲランドの塩を使用していると書いてある。丸森町もフランスも行ったことないけど、こうして口にできるのはありがたい限り。
↑の榮泉堂の公式ECショップでは抽選販売になるけど規格外品の販売もある。一回チャレンジしてみようか。
持ち帰ってくる際に不注意でぶつけてしまい、皮が少し欠けてしまったがサクサク感がたまらなかった。
あんことバターの層が美しい。ああ、書いてたらまた食べたくなってきてしまう。
次は寒い時期、オーブントースターで軽く温めて食べてみたい。
②かさい製菓「バナナ最中」(青森県弘前市)
実はこの「バナナ最中」を購入した、飯田橋駅前の青森県アンテナショップ「あおもり北彩館」は今年7月31日で閉店してしまった。
閉店したお店の商品を紹介すんなよ、と言いたくなるだろうけど、これを読んだ人が今後どこかで出会うかもしれないでしょ。だから書いておく。
この「バナナ最中」、たぶん今年私が一番ショックを受けたもなかだったと思う。だってすごいバナナの匂いがしたし、誕生の経緯がエモさ満点だと思ったのだ。
なぜか製造販売元の「かさい製菓」のサイトの中に「バナナ最中」は載っていないので、通販を行っている「かめあし商店」の紹介ページから一部引用して紹介します。
いまでこそバナナはどこでも買えるが、昭和初期においては超高級品。
戦後生まれの私の母でさえ「風邪ひいて熱を出さないとバナナは食べさせてもらえなかった」と言っていたのを覚えている。
そんな時代に生まれたのがこの「バナナ最中」で、青森県の津軽地方の他、秋田県の一部の何店かのお店で、このバナナの形のもなかが売られているようだ。
なお上記の「かめあし商店」のバナーの中に「青森は一世帯あたりのバナナの購入額が日本一の県!」とあったので気になり調べてみたら、現在はちょっと違うみたい。
だがこのお菓子が、昭和・平成・令和と時代を経て、バナナが手軽に買えるようになってもまだちゃんと残っていることが、なんかエモいんだわね。

「バナナ最中」のお味は…
パッケージを開けると人工的なバナナの香り!何も知らずにこれを食べている部屋に入ってきたら「誰ががここでバナナを食べたんだろうな」と脳裏によぎるほどにバナナ。
飲み物はいつもの癖でコーヒーにしてしまったが、冷たい牛乳やカフェラテの方が合ったんじゃないかなと感じた。なんならココアでも良さそう。お茶よりも乳脂肪が合うお味。
いろいろなお店で作っているようなので、今後も青森県や東北の物産展でまた会うことがあるかもしれない。
ちなみにこの写真のお皿は、以前スーパーでもらってきたマリオのスターのメラミンプレートだ。スターとバナナでマリオカートっぽさがあるわね。
③しっぽもひと役本舗 天満屋「しっぽもひと役」(島根県雲南市)
日比谷シャンテの地下に、島根県のアンテナショップ(日比谷しまね館)がある。という情報は知っていても、実際に行かないとどんな商品が並んでいるのかわからない。
なおかつ購入して実際に食べてみないと味はわからない。その上で、その商品に作り手のどんな思いが込められているのかを調べてみると、これまで関係が無いと思っていた点と点が急に繋がったりする。
島根県雲南市からやってきた「小倉最中 しっぽもひと役」は自分にとってそんなお菓子だった。
このちょっと変わったもなかの名付け親は、以前に長崎県を旅行した時にその存在を知った、永井隆博士。
以下、永井博士の生涯について、AIにちょっと要約してもらった。
永井隆(ながい たかし, 1908–1951)
日本の医師・放射線医学者。カトリック信徒。
長崎での被爆後も献身的に活動したことで知られる。
1908年 島根県松江市生まれ。
1932年 長崎医科大学卒業、放射線医学を専攻。
1934年 カトリック信徒となる。浦上出身の森山緑と結婚。
1945年8月9日 長崎に原爆投下。自身も被爆し重傷を負い、妻も死亡。
被爆後は浦上地区の救護活動に従事し、多くの命を救う。
被曝と白血病で余命わずかな中でも執筆・講演を続ける。
著書『長崎の鐘』『この子を残して』はベストセラーとなり、戦後日本に平和と希望を与えた。
1951年 43歳で逝去。
天満屋さんの商品紹介によると、永井博士は病床でこのパッケージの子豚の絵と、字をお書きになられたという。
短く、病に苦しんだ永井博士の人生。現代のように戦争がなく平和であれば、もっと長く生きて医学の研究に邁進できたのかもしれない。
そもそもこうして私が「もなか」のことを考えたり、のんきに食べてブログを書いたり、アンテナショップや和菓子店に買いにいけるのは平和な世の中だから。
永井博士やたくさんの人たちが命がけで残してくれた平和な世の中を守り、その中で「もなか」の情報を残していきたい。
8月だけじゃなく、いつだって平和のことを考えて生きていきたいな。

「しっぽもひと役」のお味は…
まず驚いたのが皮の造形。しっぽや顔の表情など、非常に細かいところまできちんと再現されている。この皮は島根県産の厳選したもち米が使用されているとか。
中にはほどよい甘さの小倉あんがぎっしりとつまっている。豆の粒の舌触りや、皮の香ばしさもちょうどよい。
私はこのもなかを8月9日「長崎原爆の日」の朝にいただいた。
次にまた長崎県や島根県を訪れる機会を得たら、永井博士の足跡を辿りながら「ご当地もなか」探しをしてみたい。